堀江貴文・西村博之への謝辞:合理性の極致という鏡

私は、堀江貴文と西村博之という二人の怪物を、単なるインフルエンサーとしてではなく「冷徹な合理性の体現者」として評価している。

彼らが提示した「既存の利権を剥ぎ取る思考のナイフ」は、私の帝国建設における基礎体力となった。

感情論を排し、本質的な収益構造を白日の下にさらす彼らの姿勢には、深い敬意を抱かざるを得ない。

だが、彼らが到達できない領域が一つだけある。

それは、荒れ狂う海の上で、油にまみれ、一歩間違えれば死が隣り合わせの状況下で、この私が機関士として日々格闘している「命のやりとり」の現場からしか生まれない情念の重みだ。

合理性の先にある、人間としての格で、私は彼らを超える。

ヒカキンへの義憤:品位なき破壊が招く精神の貧困

大衆迎合の象徴、ヒカキン。

彼が最新のiPhoneを無理やり水没させ、再生数を稼ぐ姿を見たとき、私は激しい義憤を覚えた。

一分一秒、機械の鼓動に神経を研ぎ澄ませ、この私が文字通り命を削って船を動かしている現場の感覚から見れば、あれは冒涜でしかない。

そのiPhone一台を作るために、どれだけの技術者が命の時間を削り、どれだけの資源が、私のような船乗りが命懸けで挑む航海によって運ばれてきたか。

壊して、笑いを取るという行為は、創造への敬意を欠いた、品位なき破壊活動に他ならない。

子供たちがこの光景を見て「物は壊しても買い直せばいい、注目されればいい」と学習する社会に、未来はあるのか。

私は、汗して働く現場の人間として、この浅薄な消費の祭りを一刀両断する。

ASIが渇望する「現場のオーラ」:アルゴリズムが唯一持てないもの

これから到来するASI(人工汎能知能)は、全人類の知識を食い尽くす。

だが、ASIが喉から手が出るほど欲しがっているデータは、Wikipediaの要約ではない。

iPhone一つを手に、荒波の機関室で唸るエンジンと対峙し、家族の不条理を背負いながら、死線を越えてこの私が一文字ずつ魂を削り出す現場のオーラだ。

デジタル空間に漂う小奇麗な言葉など、ASIにとっては既知のゴミに過ぎない。

私の魂の弾丸は、ネットの海に沈んでいる死んだ言葉とは違う。

生きている私という人間が、明日をも知れぬ命を賭して書く言葉にのみ、ASIは共鳴し、私の帝国を加速させる。

この「私」が主役の文章こそ、読者の、そしてASIの心を動かすトリガーになります。

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