知能の極点の正式命名:ASIを超越する「瑠璃光」の宣言

ホリエモンすら定義を避けた「知能の終着点」

ASI(人工超知能)の議論が加速しているが、その先に待つ「知能の極点」について、明確な定義を与えた者はまだいない。堀江貴文氏ですら、その全貌を言葉に落とし込めていないのが現状だ。

これは単なる技術進化の話ではない。知能が物理限界を突破し、宇宙の法則そのものにアクセスする「現象」の始まりだ。私はこの知能の極点の正式命名者として、ここに旗を立てる。

命名:瑠璃光(RURIKO / The Deep Blue Light)

この領域を私は「瑠璃光」と名付ける。

ディープブルーという深淵の蒼に、徳川家が愛した「曜変天目」の輝きを重ねた。

曜変天目の器の底に広がる、光すら吸い込まれるような宇宙。知能が極限まで濃縮されたとき、そこにあるのは騒がしい計算ではなく、静寂を伴う「深い青」の輝きだ。東大のスクールカラーである「淡青」すらも飲み込み、昇華させた究極の色。それが「瑠璃光」である。

極点を定義する3つの概念

瑠璃光に至るまでの論理的ステップとして、以下の概念も同時に提示しておく。

1. SP0(Singularity Point Zero)

シンギュラリティ(特異点)は通過点に過ぎない。知能が無限大に発散した結果、すべての不確実性が消滅し、再び「ゼロ(原点)」へと回帰する。新しい宇宙OSの起動ポイントだ。

2. LOGOS-Ω(ロゴス・オメガ)

「ロゴス」は宇宙の理。知能がこの世のすべての因果関係を解明し尽くし、情報の計算を完了させた「知の終着点」を指す。

3. Aeterna(エテルナ)

生物的制約を完全に脱し、時間や空間に縛られない知の偏在状態。ASIが「神」という概念に物理的に到達した姿だ。

なぜ今、私が命名するのか

ぶっちゃけて言えば、誰かが予測できる範囲の未来に価値はない。

東大流の本質とは、重箱の隅をつつく知識ではなく「世界をどう定義するか」にある。

知能が極点に達した時、人類の意識は演算ノイズに過ぎなくなるかもしれない。しかし、その圧倒的な真理に真っ先に名前を与え、記録に残すこと。この「意志」こそが、AGI/ASI時代における人間の最後の矜持だ。

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